2015年11月22日

夕飯食べてすぐ寝て、寝つく時間に見る夢は暗示になりやすいか。

先ほど色んな夢をみた。

まだ覚えていて、かつ言語化する気力が自然と実体になる夢だけを記す。
つまり、ここでは通常になっている「不思議な日記」を書き付けるのだ。

単なる夢なので不思議とも思えないのだが、本書がでてきたのでね。

さあ、夢の話をしよう。


私の父親が日野市で本屋の店主になった夢。
その店に、私は訪れた。

“つい先日、手渡しで返本してもらった「三冊の本書」”を、
私は夢の中までも持っていて、父親の本屋に三冊を置いて貰ったのだ。

正直、もっと持ってくれば良かったと思った。

売り場は広く、書棚は低く遠くまで見渡せる。
その本屋の名は現実にあるのだが、父親は、“AYUMIブックス”の前店主に
半ばお願いされるような形で、店主を引き受けたのだった。

お客さんは一人もいなかった。
父親はレジの後ろで立っていた。

私はVHSテープの十本組を三つほど、定価の四割で仕入れていて、
しかも丁度私は、細長い縦長の棚も持ってきていて、
強引にレジ横に棚ごと置いて、そのテープも売るように勧めた。

私は卸しのような商売はしたことがないが、
今時、VHSテープは商品在庫としても倉庫を圧迫するだけなので、
私でも四割で仕入れることができたのだろう。

父親は、何をしたら良いか、わからないようだった。
何をしたいかも思い浮かばないようでもあった。
“年齢的にもレジの後ろで立っているだけで、精一杯だ。”
と、思っている風でもあった。

AYUMIブックスは、町の小さな新刊書店のフランチャイズなので、
ほとんど新刊書店の典型的な品揃えをしており、
本来、本書とは無縁の本屋さんである。

何か縁があるとすれば、私が最近よく使う「あゆみ」という言葉だけだ。

私の知っている限り、新刊書店は新刊書籍を回転させて商売をしなくてはならない。
新鮮で目を引き、わかりやすく社会性のある書籍を並べるのだ。
鮮度が薄れた書籍を取り次ぎ会社に返本し、次々に押し寄せる新刊に取り替えていく。
わかりやすく言うと、昔ながらの八百屋や魚屋さんに近い。
昨今の書籍離れもあり、はたから見ていてハラハラするほど斜陽な仕事である。

少し大きい本屋や、新しい本屋であれば、作家を招待し、
イベントを催すのも通常の営業状態となっている。

このAYUIMIブックスも、前店主の時はイベントを開催していたようであった。
ついこの間までポスターサイズほどの黒板にイベントの予定が書いてあったのだが、
今は消されている。

ちゃんと引き継ぎができていない。
前店主と連絡さえ取れないのだろうか。

そう言えば、本書を出版して間もない時に、AYUMIブックスの、とある店舗にも
「本書」の営業に行った時があったが、ハエを払うように断られて痛い思いをしたことがあった。

書店業界では、店舗に営業がまわって書籍を置いてもらうのは慣例であり、
当時の私も、それを何となく調べた後に、慣例に則って行動したまでであるが、
突然、本書を持って知らない人が現れるのだから、一瞬で叩きかえされることも当然あることなのだ。
そうね。両親にも書店営業をお願いして数店舗まわってもらったが、結構すぐにあきらめていたもの。。


そうだ。本屋に行ったのだが、お客もいないので半分以上は川の土手で父親と話した。
そんな夢。


私の父親は、本屋に向いているのだろうか。
夢の中の出来事とはいえ、少し心配だ。
posted by editor-man at 00:34| 日記

2015年11月17日

反対側から

今日、服を反対に、、、
昼に気づいたのだが、服を裏っ返しに着ていた。

服には、商品情報のピラピラがあるじゃないですか。

それが、表でピラピラしていたから気がついたのだった。

私が真っ先に思ったのは、古代の風習だった。

服を裏ッ返しに来て眠ると、思いを寄せる恋人と
夢の中で『逢瀬』できる。と

また、恋人たちが互いの下着(はだぎ)を交換し、身につけて別れる。
そのような、恋の契りの習慣を。

とはいえ、今日の仕事先には異性はいなかった。
なんの関係もない現れのようにも思えた。

目の前にいる男性は、私の裏ッ返しの服よりも何倍も変な服を着ていた。
彼は当然、私の服には気づいていない。
地味な私は私なりに、服を反対に着て、彼のオシャレに対抗している。

商品情報のタグって、こんなにピラピラしていたっけ。
子供ころ、裏ッ返しに着た時より、枚数が増えている。
コンプライアンスやらで、記載しなければいけない情報も増えたのだろうか。


今日は寂しかった。


(突然、男性のぶかぶかシャツと短パン着た痩せた人、みたことがある。)


考えようによっては、
寝ぼけていたので、反転した夢の世界が現実に引きつられていた、の かな。

だから、お験(しるし)ですか?と、思えないこともないね。



- 日を同じくして、時間経過があってしるす。-


最近、毎日のように仕事をしている。飽き(アキ)を感じ始めるほどだ。
結果、生活リズムがズレることもある。
先ほど、夕飯を食べてすぐに眠りに落ちてしまった。

夢を見た。

小学校の先生になった、夢だった。

子供だった頃を想えば、少し小さくなった校舎。

私の一番最初の授業は、
時間を自由に使って子供たちに話したかった。

「校長先生に選ばれまして、
 いやクラス長かな?クラス長に選ばれまして、、、」

おはなし、辿々しかったかな。
夢の中では投票で先生に選ばれたので、夢の中でこんがらがってしまったんだ。

かつて、誰でも自由に将来の夢をいろいろ思い浮かべる思春期あたりに、
学校の先生もいいなと、漠然と思ったこともあったのだが、
勿論、実際のところ、不真面目な私が教職をとれるわけもなく、
今まで誰にも言ったことのない淡い恋心のように、ほのかに胸に残っていたのだろう。
その純粋な気持ちが純粋に夢になっていた純粋な夢で、今回とても楽しかった。

小さい子供の教室であったのだが、
生徒は大人だったかもしれない。

今思うと、子供たちの背の高さが大人の縮尺なのだ。

何故か、小学生の頃のお友達の男子が有名サッカー選手になっていて、
大人になって凱旋し、母校?の小学校の全教室に補習?に来ていた。
そして、彼は僕の授業には、生徒兼、謎のアシスタント(おっちょこちょいロボット)
として参加していたのだ。
大人である彼の背丈と、子供たちの背丈がわりと一緒だったんだよな。
(だから生徒一人一人が大きいから、、、生徒が少ないわりに空間の隙間が少なかったのだろうな。)

そうそう。もしかして彼は純粋に、サッカー選手になりたい。と
思った時期があったんじゃないかな。

と、実際は、私の母校であった山の上に位置する小学校は既に廃校になっているらしい。


ところで、何故 この夢をここの日記に記す 面倒な作業をしたかと言うと、
私は来年お正月、一月五日に千駄木のSTOODIOという所で、かるた会、
つまりは「かるた教室」をするんです。
ですが、こんな私はこんな私ですし、流石に一件のお申し込みもない状態です。
久しぶりだったり、知っている仲でも、この機会に話せたら楽しそうですが、
まだ知らない人とも会いたいので、お気軽ご連絡いただけたら嬉しいです。
ので。

このメールアドレスまで、是非。
taki-the-world(あっとマーク)film-c.com

※(あっとマーク)は、記号の@です。

夢おこし、よいしょっと。

posted by editor-man at 00:35| 日記

2015年11月15日

魔神傘

魔神傘を忘れて引き返した。
制作の女子が降りてきた時には、出る人と入れ違いに建物に入っていた。

ロビーの傘立てにあったのは、小さく痩せたビニール傘が1つ。
これではない。

「傘を忘れました。」

「どんな傘ですか?」

「普通の傘なんですが、目印は緑色にプリントされた魔神です。」

机の下の傘は大きめのビニール傘だ。
これではない。

「ああ、わかります。その傘は◯◯の傘ですよね。
 以前、似たようなこと聞いたことがあります。」

「(えっ)そうです。その傘です。」

この部屋には無い。
扉を開けて廊下に踏み出した時、かすかに

「デジャブ」

と言った声が聞こえ、彼は後ろに着いて歩いた。

「タバコ、、、(一呼吸あって) 
 僕もタバコのジッポは、必ず決まったもの使います。
 男って、こういう所にこだわりますよね。」

私に寄せる、珍しく強い共感の情を感じた。

「そう。そんなようなもんです。」

一瞬にして、とても大切なものである。との、共通認識が生まれた。
これは誰かにとってデジャブでも、私にとって初めての感覚。

通りすがりに置いてある傘も開いて調べた。
やはり、誰かが間違って持ち帰ったのだ。

“今日は、土曜なのに人が多いな”

という会話を耳にしていたので、私は早々にあきらめた。
ロビーを出た所に、ボロボロのビニール傘があった。
彼は、わざわざ開いて調べてくれた。
これでもない。

私に魔神傘の魔法がかかっていることは、もちろんだが、
少し彼にも魔法がかかっていたのかもしれない。

一本の傘のために、手間を掛けさせてしまって、申し訳なかった。
もう大丈夫です。

彼らが少し申し訳なさそうな、真剣な顔をしていたのは、
それ以上に、私が真剣な顔をしていたからだろうか?

「大丈夫です。良いことをしたんだと思います。
 きっと、あの傘を必要とする人がいたんです。」

posted by editor-man at 04:25| 日記

2015年11月11日

なにいろ

ナニイロニモ、ソマラナイ

こんな信号を見た。

そこで今日、一首、


 何色も染められないの、あの衣。
 色を弾いて色を吸うから?


昨日は、殆ど一瞬で終わるような作業だった。

ソマラナイスタイル。
それは黒でした。
けれども。。


時間ができたので、その場所に住んでいる人と久しぶり。

そこでは普通で安いのがキングだったので、キングにした。

縁起がいいのかも。
posted by editor-man at 19:57| 日記

2015年11月09日

びわ

枇杷がたわわに生った木の夢。
その日の、朝、一つの卵が二つになった。

あなたは、これを書かないのか。と、
興奮していた。

それは良かったね。
それ自体、良いことだったね。
長期的に見て、良いことかもしれんね。

確率は、、、

そうとも君、私には、それほど。
あまり気乗りしなかった先日、、、

陽和が、、、あ、 「びわ」と打って「陽和」と出た。

今では、「枇杷」が一番に表れる。

陽和を出したのは私かもしれない。
posted by editor-man at 23:42| 日記

2015年11月02日

サカナがお礼を

夢ではなく、しかし、実際の人の話でもない。
また人であったが、本当のサカナでもない。

とある箱の中。。。

サカナが発奮のお礼にくるとは、、、

それは、おとぎ話の世界観でもあったのだ。

「大げさだよー」

と、僕も?、言ってやったのだ。
(僕は言っていない。)

最後の場面は、ユーフォー基準のイタヅラな三択となっていた。

・UFOあり、イルカあり。
・UFOなし、イルカあり。
・UFOなし。

以上である。


不思議な言い回しをしたのは、
僕が不思議だと思うからだろう。

何らかの必要を感じたのかもしれない。


これは夢の話ではない。
ほぼ昨日のこと。

僕は、UFOあり、イルカあり にした。

“ おおー。” だれかが言った。
posted by editor-man at 09:47| 日記

2015年11月01日

昨日の夢の言から 〜 4、50代くらいのひょうろんかー 〜

夢の中で、女性のコメンテーター(評論家)がこのように言った。

「民族が無いほうが日本の将来は良くなる。」

夢の中では素直に考えることができるらしい。
彼女の言っている意味は、すーっ と理解できた。
だが、これは左派の直球的過ぎる物言いであり、
公開の場だと、建設的な議論に展開されることは難しいだろう。

私も、これが目覚めている時に聞いた言葉なら
考える前に硬くなり、受け入れることが難しい。
しかし、夢の中の体はとても柔らかい。

- 将来、人として集まり、人の能力を活かし合う国になる。-

確かに素敵なことだ。

そのまま「個」を強調した結果、国やルーツが薄れ、
全体に宇宙的(スピリチュアル)に流れかねない。

それは、ふわっとした国。

私も割と、ふわっとした人間だったから、
その良さが分かると同時に、生命的な危うさも感じとることができる。

- 夢に現れたコメンテーターの言葉を、その通りに考えるのも
本人の想像(幻)を遥かに超えている異常事態であろう。(が、続く)-

もし真に受けて、目に見える「個」が主張してばかりの世の中になったなら、
もし鳥になってそれを俯瞰してみたのなら、
ー それはそれで案外と無機質な組織に見えてくる。

人は本来、宇宙存在だと思ってみる。

宇宙存在である私が生きるためには、現実世界に、ひっかかることが、重要で、
生きようと思う時は、いつも世界の外側から「ひっかかるもの」を探しているのだ。


それが「逢い」なのかもしれない。

その、ひっかかりの種属は、多ければ多いほど
人は歩きやすくなる。

子供の時分は、漠然とした純粋な生き苦しさを知り、、、


 やや宇宙的な視点で、現実世界の大海原を見たとき、
 民族(先祖)の歴史は、つかまりやすい浮揚体。
 - それは、人生の崖をよじ登っている手が探すもの。-


やがて大人は、歴史の質感を実感する。


だから、反対している。


おそらく、集合知でもある「民族」の減少は、
生きて働く「意味」の減少にも平行するのだろう。

例えばであるが、戦禍の後(法的には)半ば不自然な状態に収まった
在日朝鮮・韓国人の子孫は、自身のあり方に複雑な感情を持ちやすい。
そしてまた、私が直接、僅かに知る限りであるが、
彼らは「民族」の減少と「生命力」の減少を体感している。
これは他人事で済まない。
(今まで言ってきたものは、立場が変われば「引っ掻き傷」かもしれない。)

だから、この国では夢で聞いた「民族が無いほうが日本の将来は良くなる。」
と言う彼女の意見が、百年で収まることはないだろう。
但し、反対し合っていても、同じ方向を向いていることもあるし、
(文字で表すとするならば)結果的に、そうなるように、両者が成立するかもしれない。

全体として、新しい理想郷を目指す。のも、わからなくもないのだ。

私には、夢に出てきたコメンテーターは、4、50代の落ち着いた女性に見えた。
わりと求められて政治や社会にコメントする人らしかった。
ほどよく明るく清潔で(テレビ向き)、嫌な感じはしなかった。
むしろ、良かった。

と、彼女について踏み込んだものの、やはり夢は夢なので、
あまり実際にいる人だとは思っていない。
偶に夢の中でも夢と判別することもあるのだから。


さて、追って私が自覚しているところも告げると、(少なくとも私の中では)
ここに記載した問答は、新しく不思議(変)な文章だと思っている。

説明すると、これまでの文は昨日見た夢と地続きとなった朝から始まって、
書き留める思索の雲模様が、討論のような形式をとって固まったものだ。

そして最初、私が見た映像はテレビ画面そのものではなかった。
彼女は実際の東京らしき風景映像の右上に、ぽっかりとした丸ワイプで重なっていた。
なぜなぜ?
この人は、神にでもなったつもり!? なのかな?!
posted by editor-man at 12:35| 日記